【玉木幸則さんインタビュー】NHK Eテレ 『バリバラみんなのためのバリアフリーバラエティー』で人気の 玉木幸則さんに聞きました!

2021年 09月15日

障害のある子の教育、どうあるべきだと思う?

出生前診断について、どう思う?

玉木さんが考える、良い社会ってどんな社会?

自ら脳性まひという障害者である一方、障害者の自立を支援する活動に長年携わっている玉木幸則さん。
自ら脳性まひという障害のある当事者である一方、障害者の自立を支援する活動に長年携わっている玉木幸則さん。そんな玉木さんに、障害のある子を取り巻く問題やこれから私たちが目指すべき社会像について伺いました。

玉木幸則
玉木幸則(たまきゆきのり)さん	
1968年生まれ、兵庫県姫路市出身、日本福祉大学社会福祉学部卒業。一般社団法人兵庫県相談支援ネットワーク代表理事。社会福祉士。脳性まひ。『バリバラ~みんなのためのバリアフリーバラエティー』(NHK Eテレ)などに出演。著書に「生まれてきてよかった―てんでバリバラ半世紀―」、「とことん生きるための15問」(共に解放出版社)など。

障害のある子の教育、どうあるべきだと思う?

まずインクルーシブな環境が前提で、その上での個別支援が大事。障害あるなし関係なく、すべての子に合った学び方を提供されるべきだと思います。

■分離教育で育って、共に生きられるわけがない

僕、今の教育は分離教育がきついと思っていて。今、SDGsとかダイバーシティとかよく言われるようになったけど、小さいうちからこんなに分離されて、障害者と接点を取らずに生きていて、大人になっていきなり「さぁ、共に生きましょう!」なんて言われたって、そんなのできるはずがないよね? 土壌がまったくできてないんだから(苦笑)。

僕は、障害のある子もない子も同じ学校で教育を受けるようになってほしいと思っていて。これって、実は、障害者の権利条約やSDGsにも書いてあることなんですよ。教育においては、まずはインクルーシブな環境で教育を受けることが前提で、その上で個別支援っていうことが大事ですよ、と。

でも、日本はインクルーシブな環境が前提ということをとりあえず棚上げした上で特別支援だけに注目しているから、分離教育をやめないわけ。

■今度は東京都からインクルーシブ教育の先駆けを

実は去年(2020年2月)、僕、東京都の総合教育会議に呼んでもらって、インクルーシブ教育のことについて東京都の小池知事と教育長と教育委員の人たちと意見交換してきたんです。で、その時、僕はこう言ってきたの。

1979年に全国で養護学校が義務化されて、障害がある子の義務教育は養護学校でやりましょう、ということになったけど、実は、東京都は、その5年前の1974年に全国に先行して養護学校を義務化しているんです。当時、障害のある子は就学猶予とか就学免除とかいって教育の機会が奪われていたから、それを考えたら一歩前進に見えるんだけど、逆にそれをやっちゃったことで分離することが前提になっちゃったわけ。だから、今度は東京都からインクルーシブ教育に舵切りをしてくれたら全国も変わっていくはずなのでお願いします!

というふうに。

■これって、障害がある子だけの問題じゃない

それに、インクルーシブ教育って、実は、障害がある子だけの問題じゃないんですよ。

例えば、今の小学校って35人くらいの子たち(場合によってはそれ以上)を一人の先生が教えているわけだけど、この35人の中には当然いろんな子がいて、もっとどんどん勉強を進めたいという子もいれば、今のペースがちょうどいいと思っている子もいるし、1学年戻って勉強し直した方がいい子もいれば、教え方にちょっとコツが必要な子もいる。障害がなくても、そういうことはいっぱいあるわけ。

でも、先生は一人で、同じ教科書を使って一律の勉強をさせちゃうからどんどん学力の差が開いてしまう。そうじゃなくて、障害のない子も自分に合った学び方を提供されるべきだし、それができた上でこそお互いを思いやることができるようになると思うんだよね。

だから、とりあえずみんな一緒に集まってもらって、それぞれの子にどういう環境や勉強がベストなんだろう? ってことを考えていくことが大事なんじゃないかな、と。今、いろいろ言われてるけど、まずはこの教育体制を変えていくということが一番インクルーシブ教育への早道なのかと違うかな?

出生前診断について、どう思う?

命はもうお腹の中で動いているんです。
お母さんが無理なら社会が育てればいい。
必要なのは、社会全体で支えてあげるサポート体制だと思います。

■96%が中絶している現実

新型出生前診断ができてから、陽性とわかった人の96%が中絶(※)している現実があるんだけど、一方で、母体保護法では障害を理由とした中絶は一切認めてないんだよね。

中絶を認めている理由は2つで、1つは強姦されて妊娠した場合。もう1つは、これが曲者なんだけど、身体的理由または経済的理由で母体の健康上の害が生じる場合。

ところが、これには矛盾があって。日本国憲法の第25条には「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利があって、それに基づいた生活保護法の中で分娩扶助とか一人親の育児加算とかは保障されているわけ。だから、どう考えても経済的理由でお母さんたちの健康を害するっていうのはおかしいんですよ。

つまり、表向きは経済的な理由としているんだけど、要は、体裁合わせているだけやろうと思っている。本来、障害があるという理由だけで中絶することはできないたてつけなのに、日本産科婦人科学会が「お母さんが産みたくないっていうなら産まなくていいよ」って暗に認めちゃっているわけ。

ここが僕が一番腹が立っているところ!

「ほんまに、子どもは、産んだ親だけの責任で育てなアカンのやろか? もっと、いろんな人が関わって、育てていけたらええんとちがうやろか?」

■お母さんが全責任を負う、という仕組みを変えるべき

お腹の子どもに障害があるとわかった時に、「お母さんが一人で育てるわけじゃないからね。みんな全力で応援するからみんなで頑張っていけばいいんだよ」ということを医者やその周りの人が本気で言ってくれれば、おそらく親御さんの不安は半減するはずなんです。

でも、今は、「産んだ後はお母さんが全責任負ってやってください」と突き放すようなやり方をしちゃっているから、お母さんは一人で抱えきれなくなってあきらめてしまうわけ。だから、そこの仕組みから変えていかないと! って思うわけ。

■命はもうお腹の中で動いている

よく「産む権利・産まない権利」って言われるけど、いやいや、命はもうお腹の中で動いているんだから。産んだ後、やっぱりどうしてもお母さんが無理なら、周囲に「私には無理」って言ってくれればいいから。そうしたら、「社会がちゃんとその子を育てていくから」って社会が言ってあげるべきだと思うんです。

必要なのは、そういうサポート体制。でも、それがなくて、全部産んだお母さんの責任にして追い詰めちゃうから、子ども産んでどこかに遺棄してしまうような事件が起こるわけ。

■すべての人の命を守っていくという姿勢

熊本県の慈恵会病院が創設した『赤ちゃんポスト』のことも、ずいぶん叩かれていたけど、中身も知らずにネーミングだけで叩いてほしくないと思っていて。あれ、実は、看護師がお母さんからちゃんと事情を聞いて、お母さんの住所も聞いて、「今から児童相談所に連絡して預かってもらうけどいい?」って確認もとっているんですよ。で、話をしていて、やっぱり子どもを引き取ると考え直したり、一定期間施設に預かってもらって、いろいろ環境が整い生活ができるようになったら迎えに来るというようなお母さんたちもいっぱいるんです。

そういう、すべての子どもの命を守っていくという姿勢が必要だと思うんです。

なのに、今、日本産科婦人科学会は、出生前診断を手軽に受けられるように検査できる医療機関を増やそうとして、そこに表向きに厚生労働省が待ったをかけて、「命の選別につながるから慎重にやりましょう」ってポーズで論議をやっているわけ。これ、僕には、それぞれが自分たちのやっていることを誤魔化して正当化して、肝心なところをボヤかしているだけのように見えるんだよね。

https://www.fnn.jp/articles/-/22382 フジテレビニュース

玉木さんが考える、良い社会ってどんな社会?

人と人とのつながりが切れない、疎外しない社会かな?
そのためには、まず自分を大切にすること。そうすると自然と周囲の人のことも気になって、疎外する社会にはならないと思いますよ。

■駅でこけたら、僕の周囲にザザッと空白が…

僕が思う良い社会は、疎外しない社会かな。一番大事なことは、人と人とのつながりが切れないことで、切れないっていうのは、知ってるのに無視しないってこと。突然だけど、以前、僕、大阪駅のコンコースでこけたの。そしたら僕の周り半径5メートルくらいにザザッて空白ができちゃって(苦笑)。10年前くらいだったら、「大丈夫ですか?」って声かけられたような気がするんだけど、誰も来なくって。恥ずかしくなって頭をかきながら立ち上がったの(笑)。周囲はこけた僕に極力関わらないようにしていたよ。積極的フェイドアウトという感じで(苦笑)

■自分のこと、好き?

僕、よく小学校にお話に行くんですけど、思うことがあって。それは、子どもたちの自尊心がすごく低いということ。「自分のこと好きな人は?」って聞いたらほとんど手が上がらないのに、「自分のこと嫌いな人は?」って聞くとけっこう手があがるんですよ。だいたい1/3くらいかな?

で、僕はその子たちに「僕らは幸せになるために生きているということが前提で、まずは自分のことを好きになろう。自分に自信を持とう」っていうお話をするんです。

例えば、毎日寝る前に自分で自分の頭なでながら、「今日もよくがんばったなあ。お母さんはグチャグチャ言ってるし、学校の先生もどうのこうの言ってるけど、私一生懸命頑張った! ゆっくり寝よう!」って。朝起きた時も、「今日もみんないろいろ言ってくるけど、あまり気にしないでボチボチやろう」って。

こうするだけでも、ずいぶん気持ちがホッとするはずです。でね、実は、これが自分を大切にするということなんです。で、自分を大切にするということは、周囲に「しんどい」とか「助けて」と言えることなんです。人のことを考える前に、まずはこれをやっていきましょう!

■最低限のところからお互いのことを伝え合おう

それができるようになると、自然と周りの人も気になってくるもの。で、「あの人、今日顔色悪いな」と気になると、「どうした? なんかあったん?」って声をかけることができるわけ。それができると、自分のことも知ってもらおうとして、「私は…」「僕は…」って自分のこと話すことができて、だんだんお互いを知って、お互いを思いやるってことができるようになるんです。「幸せ」になるには、これの繰り返しなんですよ。こうやっていくと、最初に話した「無視」には絶対にならないわけでしょう? 社会を変えるっていうと大変だけど、自分の関係する最低限のところでお互いのことを伝えあって認め合っていけば、疎外したり仲間外れにしたりする社会にはならないと思うんですよ。

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