お互いにあけっぴろげなわたしを

見城佐知子(2018~2023)
Roll House for LIFE 代表 / アートディレクター / ボディワーカー

生まれたところや、どんなふうに育ったのかを教えてください。

新潟県で生まれて、新潟のいくつかの町で高校生まで育ちました。
両親が共働きで、小さい頃は、保育ママみたいな人が居てそこに預けられていたんですが、今でもそこにいたおばちゃんのことはよく覚えています。すごくいい人で、かわいがってくれて、いい時間でした。引っ越しでお別れしなくちゃいけなくて、離れたくなかったのでコタツに入って駄々をこねてたくらい好きでした(笑)。
ひとりで遊ぶのが好きな子で、たとえば針でチクチクするのが好き。5歳でティッシュケースをつくったりしてました。小学校のときはお庭や家の中で、おままごとをしてました。これもやっぱりひとりで(笑)。あとは本を読んだり、そこから想像するのも好きでした。『小公女』みたいな厳しい環境で育った少女がハッピーになっていく話が好きだった。”真鍮のベッド”なんていうものが出てきてワクワクしたりして、じゃあお部屋はこうで、カーテンはこうして、とか考えるのが楽しかったです。これもひとりですね(笑)。
母は養護学校で教えたり、美術の先生をしていたんですが、休みの日には山に行って、母が絵を描く隣でスケッチブックをひろげていました。そういう影響もあったのかもしれません。大学は多摩美術大学の建築学科に行きました。4年間楽しい大学生活を送って、最終的には設計事務所に就職もして、で、26歳の時に結婚して妊娠して、それからは子育ての時代です。

大人になるところを結構すっ飛ばしましたね(笑)。
見城さんは、ヨガの先生をやったり、洋服のブランドをしていたりと、外に出て活発な活動をされている方というイメージがあったんですが、意外とそうでもない子ども時代だったんですね。

ひとり遊び好きですしね(笑)。基本的に寂しがりやなんです。それは子どものころ母親とあまりいっしょにいなかったからだと勝手に思っていて。だから長男と次男が小さいときは、しっかりと一緒にいようと思って専業主婦をしていました。
それからまた外に出たくなって、仕事をはじめて。美しいものやお料理が好きだったのもあって、フレンチのレストランで働いたり、違う飲食で働いたりもしていたんですが、長女の妊娠をきっかけ(悪阻で食べ物の匂いに耐えられず)にやめて、出産。その直後に2011年の震災が起きました。

震災と子育てが重なったんですね。

はい。やっぱりあの時のことは忘れられないですよね。妊娠中からマタニティヨガをはじめていたんですが、子連れでもできるベビーヨガというのを見つけて、そこに講師養成講座というものがあって。これなら子連れで勉強にもいけるし、仕事にもつながるかもしれないし、ということで受講して、講師になりました。その流れで他のプログラムも学んで、いわゆるヨガインストラクターっていうのになったんです。ハンディキャップヨガというものがあるのを知って、気になる! 学ばなきゃ! と勉強しにいったりもしました。
3.11の震災後、インストラクターの仲間は毎月東北に行って、子どもたちとヨガするボランティア活動をしていて、私は乳飲子がいたので活動に参加できず。でも1年後にやっぱりどうしても行きたくなって東北に行ってきました。その後はなかなか足を運べてなかったですが、熊本地震があったときは、半月後には熊本に行ってました。それからは月一回で熊本に通っていました。

どうして東北や熊本に行きたくなったんでしょう?

なぜでしょうね(笑)。正直説明できないのですが、使命みたいなものでしょうか。行きたい!行かなきゃ!ってなって。何か誰かの役に立てたらいいなっていうのもあるんですが、この目で見なきゃいけないという方が強い気がします。人から聞くことでなくて、自分がその地に行き、その土地に踏み入れて、この目で見て聞いて感じるということを欲していたというか。その方が、人に話すのも伝わりますよね。ただ、大変なんだってと聞いた話を伝えるよりも、自分が感じたままを話す方が人の心を動かすというのかな。まぁ、とにかく自分の体で感じることに重きを置いている気はします。それはボランティアに限らない話ですが、大事にしていることです。

arTeaTreaTとの関わりについて教えてください。

正直これもまたよくわからないのです(笑)。
もともと石山さんとは仕事でも一緒に活動させていただいてますし、同い年の子を持つママ友でもあって、機会があるたびにいろんな話をしているんです。自分のやりたいことや気になることとかを相談とかでなく、ただただ話していた。
ものづくりが好きなママ友と3人で、自分たちの着たい洋服を作る「__KU_KO」というブランドをやっていたり、エシカルコンシェルジュ講座というのを受けて様々な世界に顔を出していたりして、その延長で、ものづくりでやりたいことがあって、それは「障がいのある人とも作れたらいいな」という話を石山さんとよくしていたんですね。それでこのプロジェクトがはじまるときに石山さんから、「さっちゃん、こういうのやるけど、もうクルーに入ってるから」と言われて。なぜクルーに入れてもらったのかを、石山さんにこっちが聞きたいくらいです(笑)。
でも思い出してみると、子どものころやっていた24時間テレビが好きで(今はあんまり見ていないですけど)。アフリカの貧しい子どもたちのことや、障がいのある人たちのことをあのテレビで知って、それもここに至る一つのきっかけになっているかもしれないですね。
あとは母親が養護学校の教員もやっていて、重度障害の子たちと付き合っていました。知的な障がいのある子たちと夏休みにいっしょにプールに行ったりした思い出もあって。そういうこともarTeaTreaTの活動に参加するきっかけになっているかもしれないです。

arTeaTreaTはこれからどんな場になったらいいと思いますか?

先日arTeaTreaTの集まりに小3の長女を連れていったんです。ダウン症の小さい子や障がいのある子たちと彼女がいっしょにいる時間がなんだかいいなあと感じました。わたしも小さい時、あんまり区別せずに養護学校の子たちといっしょに遊んでいた記憶がある。こういう時間が特別じゃなくふつうに、日常になっていったらいいなと思いました。
大事なのは、どれだけあけっぴろげにできるか、ということなのかなと。健常の人からすると、会う機会が少なかったり、おしゃべりしてなかったりするとやっぱりわからない。どういうことを感じたり考えたりしているのか、どんな人なのか、わからないことがある。
arTeaTreaTでは、それがもっとふつうに混じるようになったらいいかなと。
チラっと会うだけでもいい。それが最初でいいと思う。最初はお互い珍しくても、次に行く時は、「前に会ったことがあるし、この前も居たな、わたしとここが違うなー」みたいにして、お見合いの場のような感じで、はじまりはいいと思うんです。なにかをしてあげようとかも無くてよくて、「こんな人がいた」、「あんな人もいた」という練習をしていけたらいいんじゃないかなと。
お互いに、相談でもグチでも、楽しかったことでもいい。なんでもあけっぴろげにできて、持ち帰らなくても大丈夫。そういいう特別な場になればいいんじゃないかなと。やっぱり、あけっぴろげのほうが強いじゃないですか。笑えて、泣けて、ケロッとしてるみたいな、そういう場になればって思っています。

ありがとうございました!

パーソナルな質問

Q:あなたにとってarTeaTreaTな一曲は?

 ともだちになるために
 ありったけの愛
Q:あなたの必殺技・特技は?
空に話しかける(→ ひとりごととも言う 笑)
〇〇㎝、〇〇㎜とかの感覚
有名人にも普通に声かけられる
Q:わたし実は○○なんです
人見知りで泣き虫
Q:マイブーム
陶器(少しづつ旅先で出会った陶器を集めてます)
Q:好きな漫画
キャンディキャンディ
ナウシカ
Q:好きな匂いを一つ二つあげて下さい。
ゼラニウム
雨が降り始めたにおい
Q:もしできたら「やさしさ」を定義してみて下さい。
包み込むことかなと思います。なにかをするとか、してあげるとか、してもらうとかではなく、ただただ包んでくれる感じ。受け入れるというのもここに含まれると思うのですが、やっぱり包み込むという響きが私はしっくりきます。
胎児がただただ母親の子宮の中に包まれてたような感じじゃないかなとイメージしてます。